【判断・評価】「事実」と「真実」について

随筆
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2024年7月7日に行われた東京都知事選に関連するテレビ報道や雑誌記事等に接したことを契機に「事実」と「真実」について考えてみました。事実と真実を見極め、報道等の対象となる人物や物事について、先入観や偏見を極力排除し、より公正・中立な視点から自分なりの正邪・善悪の判断、評価がしたいとの思いからです。ここでは、都知事選とは直接関係ありませんが「恥を知れ」という発言を例として取り上げさせていただきました。


 

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「恥を知れ、恥を」と‥

東京都知事選に立候補された石丸 氏が、広島県安芸高田市長であった2022年6月10日の市議会で発言されたフレーズです。

この言葉が、メディアでどのように使われているのか、いくつか、紹介させていただきます。

①「恥を知れ! 恥を!」広島県安芸高田市の石丸伸二市長は市議会でそう声を荒げた。
② (石丸氏が)議会に対し険しい表情で「恥を知れ」と罵倒したり(中略)している動画を見たことがあるだろう。 ※(  )は筆者
③ 市議会に対して「恥を知れ! 恥を!という声が上がっても、おかしくないと思います」という発言で、一躍有名人となった。

以上、3例を紹介させていただきました。

次に、「恥を知れ、恥を」という発言があった議会の様子をYouTube動画(【公式】HOME広島ニュース)でご覧いただきたいと思います。冒頭から12秒後に、この発言が見られます。

  

この動画の冒頭から30秒までの発言は、以下のとおりです。

「居眠りをする、一般質問をしない、説明責任を果たさない。これこそ、議会軽視の最たる例です。恥を知れ、恥を、と、いう声があがってもおかしくないと思います。どうか恥だと思ってください。議会の本来の機能として、あるべき形では、ありません。」

前述した事例は、この発言の中の「恥を知れ、恥を」を引用していると考えられます。


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「事実」と「真実」

ここで、「事実」と「真実」について考えてみます。

「事実」とは、主観的な解釈や理解、想像を排除し、起こったことや知っていることを、そのまま示すことです。

「真実」とは、事実を基に主観的な解釈や想像、推測・推論されて描かれるもの。直接的には見えない、あるいは隠されているもののことです。

このことを、恥を知れ、を例にとって見てみましょう。

事実

①「恥を知れ、恥を」と発言した。
②安芸高田市の石丸市長が「恥を知れ、恥を」と発言した。
③安芸高田市の石丸市長が、2022年6月10日に「恥を知れ、恥を」と発言した。
④広島県安芸高田市の石丸市長が、2022年6月10日の安芸高田市議会で「恥を知れ、恥を」と発言した。

①は、どうした、という事実。②は、誰がどうした、という事実。③は、誰が・いつ・どうした、という事実。④は、誰が・いつ・どこで・どうした、という事実。

①から④まで、内容の細かさは違いますが、起こったこと・知っていること、そのままの表記。これが「事実」です。

真実

前述した『「恥を知れ、恥を」と‥』 の項目にある事例を使えば、①は「…そう声を荒げた。」、②は「険しい表情で…罵倒したり…。」、③は「…一躍有名人となった。」の部分が、主観的な解釈や想像、推測であると考えられるので「真実」です。

メディアが語っていることは、そのメディアにとって、いずれも「真実」なのでしょう。

「真実」は、ひとつではなく、人(メディア)の数ほどある、ということです。

どのような目的や意図で発信するかにより、フレーズの使われ方や修辞が変わるでしょうが、この件の考察は、別の機会にゆずります。
 
 

誰にとっての「真実」なのか

報道や投稿されていることは、その報道機関や投稿者にとっての真実です。

そこで語られている内容が対象者にとっての真実とは必ずしも一致していないとの認識を持つことです。
この点で、報道・投稿内容を何の疑いもなく鵜呑みにしない、ということです。

重要なのは、報道・投稿の対象となっている本人にとっての真実です。


前出した「恥を知れ、恥を」の発言動画を初めて見たとき、印象が変わりました。その言葉は、前段があり、後段があり、話の流れの中で使われたもので、決して単独で存在している訳ではないのです。当たり前のことですが、突然、何の脈絡もなく「恥を知れ」などという発言があるわけないのです。
「恥を知れ、恥を」という発言の背景には、発言者である石丸 氏にとっての「真実」があります。

その真実を知り理解することが、発言者を公正中立な視点で判断・評価するために必要なことなのです。

メディアの真実ではなく、報道・投稿の対象者の真実を知り理解するためには、多くの一次情報を取得し分析・考察することが必要。しかし、今の私にとって、一次情報を取得することは現実的には困難です。だから、なるべく加工されていないと思われる二次情報を広く収集して分析・考察するようにしています。
 

まとめ

報道等の対象となる人物や物事について、先入観や偏見を極力排除し、より公正・中立な視点から自分なりの正邪・善悪の判断、評価をするには、事実と真実を見極め、対象者本人にとっての真実を知り理解することが必要なのです。